大連のご紹介

大連のご紹介

大連の概要

大連の概要1 大連は、中国東北地方の遼寧省にあり、大陸から渤海と黄海の境目に突き出した遼東半島の先端に位置しています。540万人の人口を抱える大都市で、不凍港である大連港を中心に「北の香港」と言われるように、日進月歩の発展を遂げています。
大連が歴史の表舞台に出るようになったのは、19世紀末。当時、西欧列強の侵略にあえいでいた中国から、ロシアがこの土地を租借したことから始まりました。それを機に、それまで「青泥窪」と呼ばれていたのが「ダーリニー」と称されるようになりました。
その後、1905年の日露戦争を経て日本の統治下に置かれるようになると、ダーリニーに漢字を当てて「大連」と呼ばれるようになりました。 戦後、中国統治下に戻り一時期は、旅順・大連と合わせて「旅大」と称されましたたが、やがて正式に「大連市」となりました。ロシア・日本の支配下に置かれた名残は、今でも中心街の中山広場にある大連賓館(旧大和ホテル)や中国銀行(旧横浜正金銀行)そして街中を走る路面電車などに見ることができます。
大連の概要2 現在の大連は、クラシックな要素をとどめつつもモダンな高層ビルが立ち並ぶ近代都市で、町並みも道行く人もファッショナブルです。また治安も良く、2004年12月に国連によってカナダ・バンクーバーとともに「世界で最も安全な都市」に選ばれています。
「北の香港」大連は、経済の街でもあります。市街地から北へ行くと開発区と呼ばれる地域があり、日本などの外資系企業のオフィス、工場がずらりと軒を並べています。
大連の魅力は、昔の名残を残した華やかな都市というだけではありません。3方を海に囲まれていることから、自然にも恵まれています。星海湾、付家荘、燕窩嶺、石槽村は風光明媚な海の風景区であり、夏には海水浴客で賑わいます。また、「アカシアの大連」と言われていますように、春になるとアカシアが街中で市民の目を楽しませ、5月下旬から6月上旬には「アカシア祭り」も開催されます。
気候は東北地方の中では比較的温暖な方ですが、冬の平均気温は-5度まで下がり、やはり寒いです。夏は平均気温が25度と過ごしやすい気候です。また大連市から20kmほど西へいくと、日露戦争で有名な旅順があります。203高地や水師営会見所などの見所がありますが、軍港があるため外国人は旅行社を通さなければ行くことができません。

大連は北アジアの中心

中国東北地方で最も発展し、活気あふれる港町である大連は、東北アジア経済圏の中心的地位にあり、日本・韓国・ロシアなどの国々と隣接し、頻繁に交流を行っています。北アジア地域で有名な金融・貿易・交通・観光の中心地です。また、大連には素晴らしい住環境があり、国連環境計画局により「グローバル ベスト500」都市の1つに選ばれました。これは中国では初めてのことです。
大連は北アジアの中心

大連の特徴

環境 三面を海に囲まれ、季節がはっきりとしており、快適な気候です。
通信 中国東北地区の通信の中心であり、世界の180以上の国々、地域と通信業務を行っています。
文化 ファッション業界が有名です。またスポーツが盛んで、数多くのイベントが開催されています。
技術 22の大学・300近くの研究機構に26万人の技術者がおり、総合的な技術力の高さで知られています。
教育 優れた教育環境・教育プログラムがあり、中国の中で日本語と韓国語を話すことが出来る人材が最も多い都市です。
商業 アメリカのウォルマート、フランスのカルフール、ドイツのメトロなど、世界の大手スーパーマーケットもあり、中国東北地区の「買い物天国」になっています。
経済 中国で外国資本の投資が最も集中する都市の1つです。
中国で最初に金融市場をオープンした都市です。
中国東北地方の中で投資環境が最も良くビジネスチャンスが最も多いと言われる都市です。
中国で日系企業の投資が最も多いと言われる都市の1つです。

大連ソフトパーク

歴史的にも大連は日本と密接な交流があり、文化交流・貿易活動が行われてきました。目下、大連は日本のいくつかの都市と友好都市となっています。
近年、中国大連はソフトウエア産業の発展に伴い、インドのバンガロール、マレーシア、シンガポールに続き急速な発展を遂げており、オフショアのソフトウエア開発・BPOなどを行う企業の集積地になっています。
大連ソフトウエア産業の中心基地として、大連ソフトウエアパークには世界の有名企業が数多く集まっています。ソフトウエアパークの300社を超える入居企業の内、松下、Sony、GEPACT、IBM、アクセンチュア、SAP、HPなどグローバルトップ500企業の32社を初めとする外資系の割合が41%に達し、大連ソフトウェアパークは日本や欧米の大規模なオフショアソフト開発と情報サービス能力を備えています。
大連ソフトウェアパークでは現在、政府、人材、市場の資源を統一した形で提供するためにIT人材リソースと教育プログラム、専門的な産業パッケージサービス、国際化した産業発展環境の成立に努めており、入居企業によるプロフェッショナルなコンサルティングやアドバイスを提供しています。
大連ソフトウェアパークはISO 9001品質システムの認定を取得しています。この認定には大連ソフトウェアパークのコンサルティングサービス、物業管理、不動産開発の3つの業務範囲が含まれており、この認定は今後の大連ソフトウェアパークでのサービスシステムの設立に大きな役割を果しています。
また大連ソフトウェアパークには、入居企業の継続的な発展を支援するための環境を作ることを趣旨に設立された非営利のサービス機関である企業サービスセンターがあります。

大連経済技術開発区

大連経済技術開発区大連市区の北35km、大連湾の対岸に当たる場所に大連経済技術開発区(略称:開発区)があります。1984年に中国国務院に批准されて以来、発展を続けている技術産業の集合するエリアです。大連市区からは大連駅、香炉礁、黒石礁等を発着点とするミニバスで約45分、大連駅から快速軌道電車(快軌)を利用し約30分で行くことができます。
開発区の中央を東西に走る目抜き通りである金馬路の両側には近代的なビルが立ち並びます。また、開発区の総元締めである開発区管理委員会があるのもこの金馬路です。このエリアは企業のオフィスよりも銀行、ホテル、デパート、ショッピングセンターなどが目立ちます。
金馬路から少し離れた場所にある“工業区”と呼ばれる金馬路周辺一帯は、その名の通り国内外の大手メーカーが集まっています。特に、エリア中央北の一帯は“日本工業団地”と呼ばれ、大連に進出した一流日本メーカーがずらりと並んでおり、開発区が大連の“外資の進出拠点”であることを如実に物語っています。また、工業区の東隣には保税区・輸出加工区があります。保税区とは、中国国内における 免税区域です。国外から保税区に貨物が入る国境線は開放されており、保税区に輸入された品物に対しては税関からの監査・管理があるのみで、品物に対しては課税されません。
即ち、中国国内にありながら関税制度上は国外であり、保税区と保税区の外との間では、中国の税関規定に従って厳格に管理されています。そうした性質から、このエリアにはメーカーの他、日本の貿易会社・商社も多く進出しています。輸出加工区もまた中国国内の税関外エリアであり、大連のあらゆる加工貿易業者がここに誘致されています。
開発区というと工業・貿易のイメージばかりがまとわりつきがちですが、観光スポットもあります。例えば中心部にある五彩城は非常にカラフルで、広場、飲食店などがあります。工業区の南側には東山風景区と呼ばれる高台があり、展望台から開発区を一望することができます。また、東山風景区ほどではないですが、砲台山公園からの景色も良いです。

旅順

旅順 1904-1905年に起きた日露戦争。大連の西郊外・旅順はその日露戦争で、日本軍6万人、ロシア軍1万8千人もの死傷者を出した最大の激戦地です。
1904年2月10日の日露開戦当初から旅順攻略戦は始まり、ロシア極東艦隊を旅順港内に封じ込めるべく、日本軍による旅順港閉塞作戦が展開されました。陸では乃木希典率いる第3軍が同8月19日から二〇三高地攻略を目指すが、ロシア軍の強固な防戦に遭い、司令部の統率力不足もあり、乃木の息子を含む膨大な戦死者を出しました。
その後12月に入り、作戦の失敗を理由に更迭された乃木に代わって児玉源太郎が指揮を執るようになり、12月5日、日本軍が二〇三高地を攻略しました(その後、この戦場で使われた砲弾を集めて鋳造した紀念塔がたてられ、乃木によって“爾霊山[にれいさん]”と名づけられました。その名は“二〇三”→“に・れい・さん”が由来と言われています。)。
また、東鶏冠山北堡塁では第11軍が8月21日から攻撃を開始しましたが、こちらも苦戦を強いられました。そこで日本軍は坑道爆破という作戦をとり、12月15日にロシア陸軍防御司令官コントラチンコ少将を爆死させ、同18日にダイナマイト2.3トンで堡塁正面を爆破して北堡塁を占領しました。
旅順要塞のロシア軍は1905年1月2日降伏し、5日、水師営で乃木司令官とステッセル将軍が会見を行いました。 その後、旅順郊区の大連寄りにある龍王塘にダムが造られ、現在、ダムに隣接する公園は桜の名所として春には大勢の観光客の目を楽しませています。